ニューロンの室礼

日々思ったことを整理するための、ごく汎用なブログです。

「青いパパイヤの香り」

f:id:world_turbine:20191126203243j:plain

青いパパイヤの香り


青いパパイヤの香り」という映画を観ました。
買ったのは3年くらい前です……。ずっと放置してました。
 この映画について書いていこうと思います。
 

 監督はトラン・アン・ユン。村上春樹の「ノルウェイの森」を映画化した人で有名だと思います。
 舞台は1951年のベトナムサイゴン
主人公のムイは使用人として、ある商家へ働きに出てきた10歳の少女です。
やがて、ムイはある青年に恋をして……
というあらすじです。
 最初から最後まで、これでもかというほどのアジアンテイスト。シタールのような音色と共に当時のベトナムの市井が描かれています。
 物語は実にゆっくりと進んでいきます。この映画の登場人物はほとんどセリフを喋りません。カメラもゆっくりと舐めるように人物を追います。しかも、窓枠を通して家の外から静かに見守っているような動きです。
 ここからはネタバレを含みます。
 
 ムイが奉公にきた商家は、表面上は穏やかで何事もなく日々が過ぎて行く平和な家なのですが、実は過去に色々と暗いことがあり、それを今でも引きずっている人間が暮らしている、ある意味「普通」の一家です。
 その中で、ムイだけは時間の流れがその一家とは違うような、世界が違うような印象を受けます。というのも、ムイだけ始終ニコニコしていて、知らぬ存ぜぬという感じなのです。別にムイが他人と距離を置いているというわけではなくて、ただ、時間の流れが違うというか、ムイはムイで日々の暮らしを大切に生きている印象を受けるのです。
 その一家の子供たちは甘やかされて育ち、夏休みということもあって一日中暇を持て余しています。彼らは、蟻を殺したり、小さな爬虫類をいたずらの材料に使ったりして、子供特有の残酷で人間臭い一面が垣間見えます。しかし、ムイは違います。笑顔で蟻の様子を見守り、危害は加えません。まるで、人間である自分と同等の存在であるかのように大切に扱います。その目はキラキラと輝いていて純粋そのものです。
 ムイは小さいながら聡明で、純粋で、健気に日々を生きる凛とした女性として描かれています。そして、ムイは恋をします。商家の長男の友人で、クェンという青年です。
 
 時は変わって10年後、不景気の煽りで、商家はムイをクェンの家の使用人として出すことにします。クェンはフランスで音楽を学び、卒業した後、新進気鋭の作曲家になってベトナムへ戻ってきていました。金持ちです。恋人もいました。
 クェンに恋人がいてもムイはめげません。というか、何も気にしていないようです。クェンのためにテキパキと働きます。
 大人になってからのムイは美しい女性として登場します。時間の流れが他人と違うような印象は、少女の頃のまま残っています。そして、大人になってからのムイにはもう一つ新たな特徴があります。別の生物をイメージさせるのです。口数の少なさや、始終ニコニコしている様子から、感情があまり読めず、そこに首の動きが相まって、まるで爬虫類のように見えます。それは決して悪い意味ではなく、人間の俗物的なものが全くない元気ハツラツとした小動物のような印象を受けるのです。
 クェンは、もともと付き合っていた恋人よりもムイに惹かれていき、やがてムイと結ばれます。ラストシーンで、クェンの子供を宿したムイが詩の朗読をします。その詩の最後の一説はムイそのものを表しているようです。

「たとえ水がうねり逆巻いてもーー桜の木は“りん”とたたずむ」

 ムイを通して、女性の芯の強さが描かれていますが、その描き方はしつこくありません。全体的に穏やかな雰囲気の映画ということもあるし、ムイだけを見ていると、その「強さ」に気付きにくいのですが、他の登場人物を通して見ると間接的にムイの内なる芯の硬さが静かに伝わってくるような気がします。